2021-09-05 量り売りのお店、素材が返してくること
ついこのあいだノープラスチックのお店で注文した商品を見つめながら、プラスチックは使用されていないけれどダンボール箱が余分にかかっているじゃないの…と自分の行為の矛盾に(お店の、ではない)「・・・」となっていたのだった。 その店ではオイルも石鹸も塩も米、豆、コーヒー、タブレット状の歯磨き粉、お酢やはちみつ…、生活に必要なものの大半が量り売りされている。塩はゲランドの塩からさらさらの細かいものまであるし、オイルもココナッツ、アーモンド、もちろんオリーブオイル、顔に使えるものもある。ワインもシロップ(こちらではカフェでもみかけるんだけど濃縮されたそれを炭酸水で割って飲んだりする)も、シャンプーもひげの手入れ製品も(何故かひげ手入れ製品は充実している。店長さんのセレクトか)。
一部包装に紙や缶が使われているものもあるが(石鹸とかバームとか)家から近いということもあって切れたらすぐにお醤油瓶持って分けてもらいにいく…という感じでいいではないか(そう、お醤油もあるのだ)。
プラスチックのボトルの廃棄/再生も問題だけれど、ガラスの瓶も一度使ったら粉々にされて再び瓶に成形する手間とエネルギーの無駄を考えたら、今使った瓶を洗って乾かしてそこに入れてもらえれば一番良い。
ビールもあればいいのにな。でも炭酸のものはなかなか難しいのか。
confinement(ロックダウンのこと)の間に店舗ができて、お客さんも少なかったことから「きっと他の多くの量り売りのお店と同じように商品が高くて手が出ないのだろうな」と考えていたのだけれどそんなことはなかった。
店のinstagramには「商品の中には私自身買わないような高いものも確かにあるけれど、日常的に使ってもらえるような手頃な値段のものも多くあります」と率直に書いてあって良い。現に玄米は1kgで2€ほどなのでbioショップで買うよりも安い。塩やオイル、洗剤など頻繁に買わないものなら、多少大手スーパーより高くても、応援の思いも込めてこちらの店を選びたいと思う。
そのお店には産地直送のような野菜もあってこれはマルシェよりちょっと高いのだけれど、手の出るもの(クルジェットや茄子、じゃがいも)を買ってみた。元気な赤ちゃんのようにぎゅっと詰まっていて、包丁を入れると違いがよく分かった。
例えばチョコレートなどは、安い砂糖のいっぱいはいったものはもりもり食べてしまうが、カカオの濃い良質なものは少しで満足できる。野菜も同じことだなと食べながら思う。安くてすかすかした野菜を腹いっぱい食べるよりも、味のある野菜を少しずつ食べて満足するのがいいのかもしれない。もう毎日6時間も踊るようなエネルギー消費をするわけでもないのだし。
この野菜が美味しいだろうことを、料理中の手応えから感じる。
その味がどうやったら生きるかな、と照準をあわせながら料理すると、ちょっと儀式のような気持ちになる。かたひじはったものではないけれどほんのり緊張感があって、手が決まる。
素材によってこんな風に自分の感覚が変えられるのだ。
ものを扱うことを私は苦手としていて、皮膚に近いものしか理解し得ない気がしていたけれど、苦手意識をもちながらもご飯だけは毎日試行錯誤して作ってきたから、素材の違いがこんな風に分かってこんな風にからだに響くまでになったのだと気づいて、嬉しかった。